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2007年01月 アーカイブ

2007年01月29日

武蔵野の雑木林

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玉川村の全面積は1449ヘクタール。その50%以上が山林で、さらにその6割以上(約500ヘクタール)が雑木林です。かつては薪炭林や土木工事用として利用され、その後は椎茸材としてかなり利用されましたが、搬出の悪いところは放置されるなどして、植生がどんどん変化し、キノコや山野草も姿を消していきました。

また村の木であり、比企地方の特色であった「赤松」林が需要の減少とともに林床の手入れが十分でなくなり、さらにマツクイムシの被害が押し寄せ、いまや瀕死の状態となってしまいました。 とはいえ、代々受け継がれてきた山林を大切にしようとする人たちの手によって雑木林の美しさは守られています。若葉の頃、木漏れ日、落ち葉降る季節、冬の陽だまり…どの季節も美しい姿を見せてくれる雑木林です。

武蔵武士のたしなみ

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蹴鞠(けまり)は、中臣鎌足が中大兄皇子に接近したのが蹴鞠の会だったという話があるくらい歴史は古く、最盛期は12世紀から13世紀にかけて。その流行は宮廷内外だけでなく、鎌倉幕府にまで及びました。

11月12日(日)、埼玉県立歴史資料館の「比企歴史の丘祭り」で、この蹴鞠の技芸を見ることができます。このほか、足を使う球技ということでサッカーのイベントも行われます。また、比企地域の物産即売を行われ、当店も出店いたします。詳しくは次のホームページで。

http://www.ksky.ne.jp/~rekishi/

玉川もみじ太鼓まつり

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10月15日(日)の午前10時:30分から雀川砂防ダム公園の野外ステージにおいて、恒例の「玉川もみじ太鼓まつり」が開かれます。県内より和太鼓愛好団体を招き秋空の下、太鼓の競演がくりひろげます。わが玉川村の一市(ひといち)祭囃子、玉川陣太鼓をはじめ、川本町・重忠太鼓、川口市・初午南流太鼓、富士見市・鬼太鼓集団、小川町・仙元太鼓、越谷市越谷太鼓など 11団体が参加。入場は無料です。 いかがですか?

お問合せは、玉川村教育委員会0493-65-1521までそうぞ。

秋の味覚といえば栗

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栗は、縄文遺跡から炭化したものが発掘されるほど、古くから重要な食糧でした。平安時代には貢納物として使われ、戦国時代には兵糧として用いられました。とくに干した栗の実を臼で軽く搗いた搗栗(かちぐり)は、「勝」に通じることから戦陣の祝宴にかかせぬものでした。また、「くりまわし」がよくなると正月の縁起物としても用いられました。

栗を使ったお菓子が工夫されるようになったのは、江戸時代後期からで、栗ようかん、栗まんじゅう、栗最中、栗鹿の子、栗きんとんなどなど、栗がなかったらお菓子の魅力が半減してしまうのではないかと思うほどです。

空飛ぶ宝石 カワセミ

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宝石のヒスイと同じ「翡翠」と書いてカワセミ。雄を「翡」、雌を「翠」というそうです。鮮やかな羽色はまさに「空飛ぶ宝石」。

1年中見られる鳥ながら、歳時記では、水辺にいる涼しさを愛でて夏の季語になっています。このカワセミが、わが玉川村の村の鳥。都幾川の流れに、ときおり美しい姿をみかけます。

今回は知り合いのバードウォッチャー下村美香さんからカワセミの写真をお借りできたのでご紹介いたします。

卯の花辺のほととぎす

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当店では、和歌を印刷した紙袋を使っています(右写真)。一首は、上の句が「朝霧の八重山越えてほととぎす」で、その次の字はなに?と時々お客様から聞かれます。下の句は「卯の花辺から鳴きて越えけり」。万葉集巻十・夏雑歌に読み人知らずとして納める歌。都風の洗練された歌ではありませんが、素直な読みぶりは武蔵野の素朴さが感じられ、朝霧、ほととぎす、卯の花と、まさに夏は来ぬ。

山吹の里

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太田道灌が鷹狩に出て雨に遭い、蓑を借りようとしたとき、若い女にヤマブキをさし出され、それが「七重八重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞ悲しき」という古歌の意だと知り、無学を恥じたという逸話は有名ですが、この舞台となったのが比企郡越生(おごせ)町。いまは山吹の里歴史公園として整備されています。なお、この山吹は果実のできないヤエヤマブキ。

ヤマブキは晩春の季語。黄色い花をつけるのは4月~5月ころです。

柏の葉

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五月のお菓子といえば、季節商品の決定版、柏餅をあげなければなりません。柏の葉は、古代人の食器であり、食物を保護したり運搬する役目を果たしました。いわば自然の包装材。柏以外では、笹、椿、桜、朴、椎の葉が用いられ、これらはすべて「炊葉(かしは)」というわけです。古代において「膳(カシハデ)」といえば料理人のことでした。また、拍手(かしわで)は、飲食をとる場合に行ったことからといわれています。

さて、端午の節句といえば武者飾り。比企丘陵で最も著名な武将といえば……。

堂平観測所

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比企郡と秩父郡の境にある堂平山(どうだいらさん)は、標高876mの低い山ながら国立天文台の堂平観測所のある場所として天文ファンにはあこがれの地。この観測所が今年3月31日をもって38年の歴史に幕をおろしました。

閉鎖の理由は施設の老朽化とハワイに「すばる望遠鏡」が作られたことと、そして東京の夜景が明るすぎることだそうです。東京の明かりを逃れて作られた観測所だったのですが、この38年間で東京の夜はますます明るくなっているようです。

道元平のウラジロ群落

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玉川村には県指定の天然記念物「道元平のウラジロ群落」があります。ウラジロはシダ植物で、暖かい土地を好むので千葉県が北限地といわれていましたが、埼玉県にも数箇所、自生地が発見され、記録を塗り替えましたが、その記録は今では福島、新潟に譲ってしまいました。

ウラジロは、文字通り葉の裏が白いことからの命名。お正月飾りに使われるめでたい植物で、新年の季語になっています。春先に新しい一対の羽片をだします。

玉川の由来

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埼玉・玉川村には、玉川という川はありませんが、都幾川と雀川の2本の清流が流れています。

「玉川」の文字が歴史にあらわれるのは、この地の法恩寺の文書で、和尚は「姓玉川氏、当国之人也」というのが初見。出身地を名乗るのは当時普通のことでしたから、このころ、このあたりを玉川郷と呼んでいたたと思われます。村政施行は明治22年、以来、いちどの編入も分離もなく現在にいたっています。

埼玉の玉川村

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日本には2つの玉川村と1つの玉川町があります。福島県玉川村、愛媛県玉川町、そして埼玉県玉川村。わが玉川村は、人口5862人、1740世帯。村の花はサツキ、村の鳥はカワセミ、村の木は赤松。

古くは徳川時代の天正の頃から宝永の頃(1573年~1711年)までの約120年間に渡って、幕府の天領(支配地60数か村)として玉川陣屋が置かれ、この地方の中心地として大いに栄えました。

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